理系人間が解釈する般若心経

人の育成

 人の指導・育成はどのようにすべきであろうか?

 今まで述べてきた(現世の)人間の性質をうまく利用すれば人の指導・育成に役に立つ場合がある。
 例えば会社などの組織において、部下の悪いところを見つけて注意する場合に、その注意の方法次第で、相手がどう思って、今後どう考えてどう行動するかは変わってくる。

 指導の際に、指導をする側が「感情をどうコントロールすべきか?」における「能動的なネガティブ」な感情になると、例えば「スポーツ観戦で相手チームの選手に対してヤジをとばす」「国会で与党の不手際を野党が徹底的に責め抜く」「親が子供の行動にいちいち干渉する」のように攻撃的になる可能性もある。

 「能動的なネガティブ」な感情で、相手を攻撃して、相手がそれに屈服すればそれは勝利の快感になってしまう。そうなると相手は「受動的なネガティブ」な感情に陥るだろう。
 人を批判したり、罵倒したりして負かすことは、相対的に自分を優位にするためには容易な方法であるが、世のため人のためにならないばかりか自分のためにすらならない。
 受け取る側からすればそれは「叱られる」のではなく「怒られる」のであるからプラスにはならない。関連:「似ているが違う事
 さらにそれに対して反感を持ち、グチを言うようになると、それを聞いた人もまねをしてグチを言ったりするので影響はさらに大きくなる。

 自分が人を指導する立場になった時に
「相手ができない事を教える事によって自分の優位性を思い知らそう」としていないか?
「尊敬されよう」としていないか?
「教えている時に相手が失敗したら怒鳴りつけたり、非難したりする事に快感を感じて」いないか?
「「相手のため」という大義名分のもとに自分のストレスの発散の矛先にして」いないか?
・・・を確認してみた方が良い。

 それとは逆に、相手にあれこれ言うことなく、自分の背中を見せて見習わせるようにした方が育成はうまくいく。
 これは人間は「まねをする」という習性を利用したものである。 関連:「まねをする(後出)」
 教える側が自分の失敗や悩みをオープンにすれば、それを見習って、相互のコミュニケーションもうまくいくようになる。教えられる側の気持ちが受身ではなく、ネガティブであれポジティブであれ能動的にすることが重要である。 関連:「動機、目的が大事
 そして教えたことを実践できた時にほめるのは勿論であるが、たとえ結果が出なくても方向性が間違っていなければ認めることも重要である。
 自分の行動が「ほめられる」「認められる」のが嬉しいと感じるのは、それが人のためになっていることを確認できるからである。これは「能動的なポジティブ」な感情である。
 また、教える側は自分が模範とならないとなると自然にレベルアップする。

 自分の指導方法が良い指導方法であったかどうかは、どうやって確認すればいいだろうか?
 自分が教えた人間が「自分を越えるような存在になる」ことが自分の喜びとなれば良い教え方である。それが嫌だと感じるのであれば、自分が優越感を感じたいがために教えていたということになる。

 現世の人間は自ら能動的に考えて行動するのが本来の姿である。なぜなら毎日を受身な姿勢で過ごしていると、せっかく現世に生まれ出た意味がないからである。
 現世での生活は修行である。能動的に何かをしないのは、修行の機会を無駄にしていることになる。
 能動的な行動を全くせずに流されるままに生きていると、霊界からの働きかけで困難などの課題が与えられる場合がある。 その課題をも克服せずに全て回避しようとする究極が自殺となってしまう。 関連:「価値観
 こうなってしまうよりは初めは能動的ネガティブでも良いから、自分の意思で何らかの行動を取った方が良い。それがたとえ「世のため人のため」にならないことであったとしても、反省してその後の考え方や行動を見直せば、それは意義のある修行となる。



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