理系人間が解釈する般若心経

苦労はフローチャートの見直しに必要

 苦労は、イヤなことであり、できれば避けたいというのは誰しも思うことだろう。親であれば、子供に自分と同じ苦労はさせたくないと思うのも当然である。

 しかし、苦労することによって、自分の「判断のフローチャート」を見直し、人格を向上させていくことができる。 関連:「プログラムの見直しとは

 苦労している時はイヤでしょうがなかったけれども、後になって振り返ればその苦労が意味があったと理解できることもある。
 会社に入社して最初の1〜2年は苦労が多くて、辞めたいと思うことも多い。(実際に辞める人も多いが・・・)
 しかしそういう時期を乗り切って、しばらくして新たに入社してきた社員の面倒を自分が見ることになる場合もあるだろう。そして、その新入社員が苦労せずに楽な方法で済ませようとしたら その時に、「そんな甘い考えでうまくいくわけないだろう。この苦労知らずが!」
と思うだろう。それは実は、自分の今までの苦労が意味のあるものだったということが確認できた証拠である。

 例えば、社長のお坊っちゃんが、社内で他の社員の表面的な事だけを見て、気まぐれな指示ばかりしていたらどうだろう?
 一方、「学歴がなくても苦労を積んでいて、みんなの信頼を得ている人」がいたらあなたはどちらについていきたいだろうか?
 それでも社長についていくという人は物質的価値観を優先させている人である。
 この場合、当然、魂の向上にはつながらないし、それで稼いだお金は死後には持っていけない。

 失敗はフローチャートの見直しの貴重な材料である。下調べ不足などの怠慢が原因の失敗ではなく、苦労を伴うチャレンジングな失敗はむしろ積極的にすべきである。失敗の内容云々よりは、その失敗を今後にどう生かすかが問われる。

 企業などで新製品を開発する際に、その失敗には蓋がされ、技術者も失敗したレポートを公表しようとしない。これは損失である。「人の振り見て我が振り直せ」というように失敗は貴重なデータなのである。自分一人では失敗の経験は限界がある。
 人の失敗を蔑みの目で見るのではなく、自分のフローチャートの見直しに役立てるべきである。

 現代は高度な情報社会で、欲しい情報がすぐに手に入るが、以前は必要な情報がなく、どうすればいいかわからなくて、暗中模索で試行錯誤して多くの時間を費やしてしまうことも多かった。
 しかし、自分の判断のフローチャートを見直すには、多くの情報が邪魔になる場合もある。情報をフローチャートの見直しのきっかけとして捉えれば良いが、自分で考える事なく、検索した情報に書かれている事をそのまま実行するのでは全く意味がない。



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