理系人間が解釈する般若心経

潜在意識

 「人間内部のプログラムの構造」では潜在意識下のプログラムの働きについて述べた。
 ここでは潜在意識について、日常的に無意識に体を動かしている例を挙げながら説明していく。


 明日は早起きしないといけないという場合に、それを強く念じれば目覚まし時計が鳴るより少し早く目覚めることができる。寝ている時に意識はないのにこれができるのは潜在意識の機能であろう。人間の体には体内時計と言われる機能が備わっているが、その時間を参照して目覚めさせるという行動を起こすのは潜在意識である。

 外出する時に玄関のドアにカギを掛けるといったルーチンな行動は、無意識に行っている動作である。
 家を出てしばらく経った時に「カギは掛けただろうか?」と心配になるのは忘れっぽくなったばかりではなく、無意識に行動しているからである。
 入浴、着替え、歯磨き、通勤通学などもルーチンな行動である。

 足をケガして、リハビリを始める時に、以前はどうやって歩いていたかをいくら思い出そうとしても思い出せない。それは潜在意識下のプログラムがやっていたことだからである。

 雪国で生まれ育ったスキーの上手な人に、スキーを教えてもらおうと思ってもうまくいかないことがある。これはスキーが歩行と同じように無意識に体を動かしているからで、潜在意識に委ねてしまっているからである。
 スキーをする時、どのように体を動かすかを説明するというのは、どのように歩行をするかを説明するのと同じくらい難しい。

 災害などに遭って、どう逃げてきたかは全く覚えていない。やスポーツの試合などで絶対絶命の場面での信じられないファインプレーを自分がしたが体が自然に動いたのでく覚えていない。というのも潜在意識が体を動かしたからだと思われる。

 紙の辞書で調べようとした言葉が載っているページを、慣れれば一発で開けるようになった経験はないだろうか? 当然、それができるようになるまでは、五十音順やアルファベット順を意識して何度も辞書を引くことによって試行錯誤してそのスピードは高まっていくのであるが、一発で開けるようになった時には、五十音順などを意識することはほとんどなくなっている。

 どこかへ歩いて行く場合など、歩くスピードやどう足を運んで道のどの部分を歩くかなどを厳密に考えて歩くことはほとんどないであろう。
 そのように漠然と歩いている時に、意図しない誰かにばったり出会った事はないだろうか?
 歩くスピードが少しでも遅かったり、道の反対側を歩いていたら出会わなかったかもしれない。
 これは魂同士が霊界経由で連携してそれぞれの人間の潜在意識に働きかけて、現世の人間同士を出会わせるような事をしているのかもしれない。
 ・・・とすると、このような出会いは偶然ではなく必然(理由がある事)なのかもしれない。

 言おうと思った言葉とは別の言葉を思わず発してしまうというのも潜在意識の働きかも知れない。それが極端に高度化したものが、イタコの口寄せのような能力かもしれない。

 「ラップ音」というのは、誰もいない場所で発生する音のことで、心霊現象のように言われている現象である。
 木造の家での木材が割れる音や軋む音のように聞こえるのはその代表的なものである。
 ラップ音の正体は、自分の体が無意識に動いて、部屋の床などに偏った力が掛かって、木材などにたわみを与えることから生ずるのではなかろうか?「誰もいない場所で発生する」と言われているが、厳密に言うとその音を聞いている自分が必ずその場所にいるわけであるから誰もいないわけではない。無意識に自分の体を動かす「貧乏ゆすり」のような動作が、部屋の木材を振動させているような可能性も排除できない。
 複数の人間の潜在意識に働きかけて、複数の人間が同時に無意識に体を動かせば、このような現象をより起こしやすくなるのではなかろうか?

 以上のように無意識に体を動かすのは、「目の前にボールが飛んできた時に避ける」というような反射的な単純な行動だけでなく、過去の経験などから体が覚えている複雑な判断や動作を含むものも少なくないと言える。



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