理系人間が解釈する般若心経

足るを知る

 「足るを知る」というのは「必要以上の欲を持たず、自分の身の丈に合ったもので満足すべき」
という意味である。

 「感情をどうコントロールすべきか?(能動的なネガティブな感情)」で述べたように、もしも個々の人間が全く独立した存在だとしたら、自分の生存のリスクを減らすために・・・、
 他の人間の迷惑を顧みず、人を批判して追い落とし権力を手に入れ、権力が生み出す財産を貯め込む。
あるいはうそをついてだましてお金を搾取する。
 ・・・という行動を取った方が、その個人としてはメリットがあるように思える。
 しかしそれでは魂の向上には全くつながらない。
 身の丈以上のものもできるだけ獲得した方が得だと考えるのは物質至上主義(拝金主義)である。
 量的に有限なものを独占すると他者に迷惑を掛け、全体のため(大我)にならない。
 例えば資源などは需要に応じて共有すべきである。必要以上のものの獲得は抑制すべきである。

 「輪廻転生」などの霊的真理を理解していれば、形のあるものを獲得できるだけするというのは全く愚かな事である。
それを理解せず、金をかき集めるのに余念のない人間のところに集まってくる人間もまた金目当ての者ばかりになる。
 何でも金で解決していると、金で解決できない困難に見舞われる。 関連:「動機、目的が大事
 この与えられる困難は、そのやり方ではいけない事を本人に気付かせるためのものではなかろうか?

 以上は「金で何でも解決できる」という極端な例であるが、現世の人間であれば誰でも「欲」があるのが当たり前である。
 欲を抑えて、必要と思われるものだけを獲得したと思っていても他者がもっと良いものを手にしているのを見るとそれが欲しくなる。
 欲を克服するのは現世の修業大きな課題の1つである。
 関連:「相対的とは?」「感情をどうコントロールすべきか?

 既に獲得している最低限必要な「足る」ものの存在も忘れてはいけない。
 最初に自分が手に入れて使い始めた時は「これは役に立つありがたい」と思っていても、それを継続的に使うのが当たり前になると「有って当然」と慣れてしまい、それが有ることすら忘れてしまう。
そうなると感謝の気持ちも忘れてしまう。
 しかしそれが失われた時にはじめてそのかけがえのなさに気付く。
 関連「感謝の気持ちを持つには?

 「足りないという逆境」を克服することで、魂の向上を図ることもできる。
 例えば企業などで新製品の開発を始める時に・・・
 資金が足りない、時間が足りない、人手が足りない、技術が足りない。という場合・・・。
 足りないからできないと不平不満を言ってもネガティブな悪循環になるだけである。
 足りないからできないのではなく、今ある環境(足りないというのは全くないというわけではない)で、どう工夫するかが魂の向上につながる。
 全て足りているのは魂の向上にとってむしろ良くない環境である。
 もしも潤沢な資金が調達できて、他から技術者を引き抜いて開発を行えば、足りないものも解決できるであろう。
 でもそれは魂の向上につながるだろうか?

 「足るを知る」でさらなるものの獲得を抑制しない方が良い場合もある。
 それは物質的な利益を得るためではなく、自分の魂の向上のためにさらなるものを求める場合である。
 例えばスポーツ競技などで優勝を目指していたが、やってみると6位入賞だったとする。
これで満足したというのは「足るを知る」ではなく「現状に甘んじる」である。
 魂の向上を図れることであれば、抑制することなくさらに上を目指すべきである。
「現状に甘んじる」べきではない。 関連:「競争することはいいのか悪いのか?

 「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということわざがある。

 これは、一兎で足りているのなら欲張る必要はない。それなのに欲張ると元も子もないということである。これも「足るを知る」の1つの形ではなかろうか?


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