理系人間が解釈する般若心経

コンピュータにおける「空」

 コンピュータでは、情報を一時的に記録するために、メモリ(電子部品)やハードディスクを使う。
 しかしメモリやハードディスクという”物体”は情報そのものではなく、情報の入れ物(記録媒体)である。

 具体的には、これらのデジタルの記録媒体には0(ない)と1(ある)の情報を記録しておく非常に小さな箇所が無数に並んでいて、その1つ1つを「磁石にしたり、しなかったり」(ハードディスク)「電気を貯めたり、貯めなかったり」(メモリ)して情報を記録する。
 そして、記録媒体から内容を読みだす時には、それぞれの箇所が「磁石になってるか?なっていないか?」「電気が貯まっているか?貯まっていないか?」を検知して判断する事によって情報を取り出す事ができる。
 情報が書き込まれている1つ1つの箇所は、状態が異なるだけで、何か実体のあるものが入ってくるわけでもなければ、出ていくものでもない。

 本や写真の場合は、紙の上にインクをのせる事で、文字や画素の集まりを表現しているがその配列が意味のあるものだと、”情報”になる。
 コンピュータでは、記録された1つ1つの部分の0(ない)と1(ある)の並びが文字に割り当てられたり、画像を構成する最小の粒(画素)に割り当てられる事によって人間が画面上で見て理解できる情報として認識できるようになる。

 このような実体のない”情報”が「空」ではなかろうか?


 コンピュータには、文字や画像などのように情報を記録する機能しかないかというとそうではない。
 コンピュータの最大の特徴は、プログラムを動作させれば”判断”、”実行”ができるということである。

 実際に判断がされていることを理解する例としては、将棋などのゲームのプログラムがある。
 将棋のソフトを買って来て、インストールし、将棋のプログラムを起動すると対局が始まって、人間の相手がいるのと同じように、自分の将棋の相手をしてくれる。あたかもコンピュータが人間と同じように考えて将棋を打っているように思える。

 ・・・そもそもプログラム(ソフト)とは何だろう?

 プログラムとは、あらゆる場合に対して、どういう場合にどう判断して実行するかの手順を書き記した指示書である。

 例えば、将棋のゲームの対局で、「相手から自分の駒が取られそうな局面」になった場合、どういうアクションが考えられるだろうか?

 ○取られそうな駒を取られない場所に移動させる
 ○自分の持ち駒がある場合はその中で実害の少ない駒を間に打つ(あるいは盤上にある駒を移動させる)
 ○取られても、その後相手の駒を取った方がメリットがある場合はそのままにしておく
  ・・・・などのアクションが考えられる。
 もちろん、これは相手と自分の持ち駒によっても変わるし、序盤と終盤では判断が変わってくる。

 プログラムの作成をする技術者(プログラマ)はあらゆる局面を想定して、状況に応じたアクションをどのように取らせるかをプログラムに書き表す。
 この書き表した(作成した)ものをプログラムとして起動すると、状況に応じた判断をして実行する。将棋ゲームの場合は”将棋の相手をしてくれる”ということである。

 この書き表したものはソースコードと呼ばれ、一般の文書と同じようにファイルとして保存でき、通信で送ることもできる。プログラムをインターネットでダウンロードして使えるのはこのためである。

 プログラムをコンピュータにインストールした時にコンピュータの重さ(質量)が増えるわけではない。
 逆にアンインストールしても減るわけではない。
 プログラムに形があるかというと、ソースコードを印刷すればプログラム言語で記述された内容を見ることはできるが、先に述べたように物理的に捉えれば、紙の上にインクがところどころに載っているに過ぎず、プログラム自体は元々形のあるものではない。
 プログラムファイルはCDやハードディスクや半導体メモリなど、色々な記憶媒体に色々な状態で記録できることからも決まった形のないものであることがわかる。

 よってプログラムも実体(重さ(質量)や形)のない「空」・・・である。

 コンピュータで扱われる「空」は、文章や数字などのデータのような「情報」だけでなく、「プログラム」もまた「空」であると言うことができる。




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