理系人間が解釈する般若心経

ポジティブな○○、ネガティブな○○

 同じ言葉でも、「ポジティブにとらえるか?」「ネガティブにとらえるか?」で意味が
大きく違うものがある。



 ポジティブな「忙しい」と ネガティブな「忙しい

 ポジティブな「忙しい」とは・・・。
 「最近、お忙しいですか?」と尋ねる人がいる。
これには「仕事が充実していますか?」「儲かりまっか?」のような意味がある。
 自分が主導して、高いモチベーションで仕事をして、目標を達成した時に充実感が得られるような状態である。

 ネガティブな「忙しい」は・・・
 一方的に期限が厳しい仕事を強要されたり、目標達成が難しいノルマに追われる状態である。
 受け身で、与えられた仕事を機械的に「こなす」だけで「もし間に合わなかったらどうしよう。どう言い訳しよう。」など後ろ向きな事ばかり考え、自分の向上にはつながらない状態である。



 ポジティブな「失敗」と ネガティブな「失敗」

 ポジティブな「失敗」は、誰もやった事のない事に果敢にチャレンジした結果、うまくいかなかった場合でも、失敗の原因を突き止め、失敗から学び、試行錯誤し、対策改善を進める元になる「失敗」である。

 未知の事、ノウハウが確立されていない事は、最初からうまくはいかない。
「どういう方法でやったら失敗するのか?成功するにはどうすればいいのか?」という経験を一つ一つ積み重ねていったら、成功へ近づくであろう。
 「失敗は成功のもと」である。

 ネガティブな「失敗」は、仕事に取り掛かる時に、事前調査や準備をする事なく、行き当たりばったりで実施し、失敗しても反省せず、次に生かすこともない事。
 問題になりそうになったら隠ぺいし、失敗の原因を他者や環境のせいにする事である。

「失敗」が悪いのではない。失敗を悪い出来事として忘れようとして、反省や改善をしない事が悪いのである。



 ポジティブな「心配」とネガティブな「心配」 

 ポジティブな「心配」は、例えば、仕事の出来映えや、それにお金を支払ってくれる人の評価などを
常に把握し、気に掛けているっ状態である。
 対象が、自然災害などの場合は、被害が起きてからからではなく、事前に調査を入念に行い、効果的だと思われる対策を打つ事である。
 対策を打っている途中でも、「これがベストな対策なのか?」「100パーセント災害を防止できなくとも、早めに避難を呼びかけるにはどうすれば良いか?」などを常に考えておく事である。
 最初の対策がうまくいかなかった時にも臨機応変に対応できるように、次善の策、そのまた次の対策を用意しておくなど、常に気にしている状態である。
 素早い行動ができるように、自分の知識を蓄え、判断能力を高めておく事も必要である。

 「祈り」というのは、100パーセントの対策が不可能な自然災害などに対するポジティブな心配を
さらに高度化させたものかもしれない。

 ネガティブな「心配」は、不安でしょうがない事があるにもかかわらず、対策を考えず、逃げたい、人のせいにしたい、忘れたい、自分の目に入らないようにしたいなど、トラブルなどの心配事を直視せず、後ろ向きになっている状態である。

 ポジティブな「心配」はトラブルの発生を防ぐ事が出来るが、ネガティブな「心配」はさらなるトラブルを誘発する。



 ポジティブな「比較」と ネガティブな「比較」

 ポジティブな「比較」は、他社(他者)が、良いもの、良いサービスなどを提供しているのを見て、当社(自分)もそれに負けないくらい良いものを提供しよう。という動機付けになる「比較」である。

 ネガティブな「比較」は、他社(他者)が不正をしているのを見て、それが表ざたにならなかった場合、当社(自分)でも少しくらいの不正があっても問題ないだろう。と判断する元になる「比較」である。
 あるいは、当社(自分)は、他社(他者)の優れた点を見て、「あんな事はできそうもない。」と諦めや絶望する元となる「比較」である。



 ポジティブな「環境に適応する」と ネガティブな「環境に適応する」

 ポジティブな「環境に適応する」は、自分の周囲の環境が変化しても本来の目的が達成できる事を最優先にし、それまでの常識や自分の価値観にとらわれず行動する事。
 柔軟に考え、「郷に入っては郷に従う」を実践し、環境に溶け込み、自分の役割を認識し、全体のために貢献できる行動を取る事である。

 ネガティブな「環境に適応する」は、悪い意味での「慣れ」である。
 現状に慣れてしまって、面倒くさくなって、本来はしなければいけない事をしなくなる。
自分の周りの者もそれをしていないので、大して気にならない。特に大きな問題が発生していないから、今のままで良しとする事である。
 外部からの目に晒されたり、内部告発があったりして初めて目が覚める。



 ポジティブな「罰を与える」と ネガティブな「罰を与える」

 ネガティブな「罰を与える」は、自分が気に入らない相手に嫌がらせをするため。
または罰を与えられた人間が悩み苦しむのを見て溜飲を下げるために与える罰である。
 あるいは「自分に逆らうと罰が与えられる事」を思い知らせて、自分の思うがままに人に言う事をきかせるために与える罰である。

 ポジティブな「罰を与える」は、言い聞かせてもどうしてもわからない相手のために、同じ過ちを繰り返さないように、自己反省を促すためにする罰である。
 できれば、自分自身で気付き、修正していくのを望むが、それが叶わない時に本人の将来のために、止むを得ず与える罰である。
 罰を与えっ放しにせず、本来の目的である「自分の誤った行動を改める」ように気付きができるようにするために粘り強くフォローする。 

 天罰とは、本人の反省を促すために神が与えるもので、神に代わって人間が与えるものではない。



 ポジティブな「プライド」と ネガティブな「プライド」

 ポジティブな「プライド」を持った人は・・・。
 正義や法律を守るために全力を注ぎ込む。
 弱い者を守り、既得権を守ろうとする強大権力に屈しない。
 自分がどう思われようと、全体のためになる方法を試行錯誤し、安易な妥協をしない。
 信用を重んじ、ぶれない。しかし、状況が変化した時には柔軟に対応する。
 自ら手本となるような態度、考え方を持ち、それらを常に改善していく。
 客観的に自分を見るために自分より格下の者の意見も参考にするが、最後は自分の責任で決定する。

 ネガティブな「プライド」を持った人は・・・。
 自分が優位な立場にあり、特別な扱いをされるのが当然と思っている。
 自分の価値観こそ一番で、他者と折り合いをつける事は自分の負けだと考え、絶対に自分のやり方考え方を曲げない。自分の価値観を軽視したり反論する者には罰を与える。
 自分の価値観のメリットを説明するように言われても答えない。答えられない。
 「郷に入っては郷に従う」事をしない。



 ポジティブな「許し」と ネガティブな「許し」

 ネガティブな「許し」は、相手がその言動に至った理由など考えず、しょうがなく許す事。
「許さないと後でうるさい」や「許さないと仕返しされる」など

 ポジティブな「許し」は、相手の価値観や立場を想像し、その言動を理解して容認し、自分が責任を背負い、相手を責めない事。



 ポジティブな「リベンジ」と ネガティブな「リベンジ」

 ネガティブな「リベンジ」は、自分が相手からやられて、物理的や精神的に痛手を被った時に、相手にも同じ痛手を与えて絶望させ、溜飲を下げようとする行為である。

 ポジティブな「リベンジ」は、例えばスポーツの試合で負けた時に、自分の至らなかった点を客観的に分析し反省して、次回は絶対に負けないように努力して、勝利する事である。



 ポジティブな「占いの活用」と ネガティブな「占いの活用」

 ポジティブな「占いの活用」は、自分でやれるだけの事をやって、どちらにするかを悩み抜いた上で方向性の目安にするために占いを見る。
 あるいは自分で決定した事を自分に納得させるために占いを見る。

 ネガティブな「占いの活用」は、 自分で努力する事をせず、占いの指示のままを受け入れる。
 それでうまくいかなければ占いのせいにする。



 ポジティブな「優位に立ちたい」とネガティブな「優位に立ちたい」

 ポジティブな「優位に立ちたい」は、自分や自社の能力を向上させるために試行錯誤し、競い合って、例えば他社より優れた製品やサービス、理論などを世に送り出すような事である。

 ネガティブな「優位に立ちたい」は、相手を見下したり、自分の地位や権力を
意味もなく振り回したり、自分の手柄などを自慢する事である。



 ポジティブな「人にものを教える」と ネガティブな「人にものを教える」

 ネガティブな「人にものを教える」は、
 「自分はこんなによく知っているんだぞ。お前は何も知らないから俺様が教えてやるんだ。」
相手が知識や能力を持っていないほど優越感を持てて嬉しい。
 教えてやったんだから「自分の事をもっと尊敬しろよ!」と思い、「すごいですね」のような言葉を期待する。
 基本になる普遍的な考え方を教えず(または教える能力がない)、その都度、自分の指示を仰ぐようにさせる。
自分の指示を仰いでもらう度に優越感が持てる事がまた嬉しい。
 そして自分が知らない事を質問されたら、適当にごまかす。
 相手が、自分が知らない事を考えて自ら実行するようになったら、自分のプライドが脅かされるので「勝手な事をしないように」と理由を言わずに怒る。

 ポジティブな「人にものを教える」は、相手に対して、具体的なやり方を
教えるだけではなく、「なぜそうするのか?」や「今やっている方法をどうやったら改善できるのか?」
「そもそも作業方法自体はどのように構築するか?」などを、作業をしている過程の中で考えさせ、教えている相手が将来、指導する立場になった時に、作業をする人達から頼りにされる人間になれるように育てる。
自分が知らない事を質問されたら、正直に知らない事を伝え、これも自分の勉強だと思って回答を考える。



 ネガティブな「まねをする」と ポジティブな「まねをする」

 ネガティブな「まねをする」は、「世の中でうまくいってる(売れているなど)機械、デザイン、サービス」など、あるいは「成功者がしている事、習慣、手法や流行している行動など」を表面的にまねをする事である。
 パクりとも呼ばれる。それを指摘された時は「実はこちらが先にやっていた」というウソをつく。
 当然、中身は、本家より質が悪く、ノウハウがなくて問題が多発するなどの失敗に至る。、
 流行が終われば、その方法は廃れて、全く将来にはつながらない。

 あるいは、自分がこれまでやってきた方法を、周辺の環境が変わっても、頑なに変えようしない事も自分の過去の(成功例の)やり方のまねと考えられる。
 これに固執すると、世の中の変化に対応できなくなる。

 ポジティブな「まねをする」は、「人の善行」や「模範的な人の考え方や行動のまね」をする事である。
それは他者のためになる事、全体のためになる事である。

 「ポジティブなまね」は、例え分野が違っていても、優れた考え方、やり方を目にしたら、
自分達のインフラに適合する形で積極的に取り入れ、自分自身や全体の改善に生かしていく。

 あるいは、歴史上の偉人の心の持ちよう、考え方、やり方のまねをして、特定の時代のインフラに依存しない普遍的なノウハウを学び取り適用を試みる事である。



 ポジティブな「競争」と ネガティブな「競争」→「競争は良い事か悪い事か




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