理系人間が解釈する般若心経

挨拶はなぜ必要か?

 最近は、学校や職場などの団体などで「挨拶をしましょう」と言うと、「なぜ挨拶が必要か?」と質問する人がいるという。
 そこで挨拶の必要性について考えてみる。

 挨拶は相手の存在を認め、私はあなたとコミュニケーションが取りたいという意思表示を行動として表わしたものである。
 あるいは「あなたは私がコミュニケーションを取るに値する人ですよ」と認める意思表示とも言える。
 プログラム同士で情報(データ)のやり取りを行うためには、その形式を標準化する事が必要である事を「武士道2」の「礼」の項目で述べた。
 必要が生じた時に、普段から挨拶もしない人と会話を始めるのは何ともやりにくい。

 挨拶を示す言葉として「オアシス(運動)」というのがある。

オ「おはようございます(こんにちは)」:相手の存在を認める意志表示。
ア「ありがとう」: 感謝の気持ちを示す意思表示。
シ「失礼します」:コミュニケーションの終了の意志表示。
ス「すみません」:謝罪の意志表示。
                                ・・・である。

 この中の”オ”は「気持ちを伝えるもの」ではなく、相手に「あなたは私の気持ちを伝える対象ですよ」ということを示すものである。

 霊界での魂同士は、相手が何を考えているかが全てわかるが、現世の人間同士は相手の腹の中がわからない。相手と円滑にコミュニケーションを図るためには相手の腹の中を探るより先に自分の腹の中をさらけ出す事が必要である。つまり両者が理解できる言葉や文章などによる情報のやりとりができないといけない。
 挨拶はその一歩、取っ掛かりに当たる。

 挨拶はコンピュータで言うなら、他のコンピュータなどがデータをやり取りする対象である事を確認しておくことに相当する。
 確認をしておけば、必要な時にいつでもデータのやり取りを開始できる。

 人間社会ではたとえ相手が苦手な人でも、同じ会社の人や取引をする人は、コミュニティの中で情報の共有をしないと、その組織や社会の機能は低下する。
 接客業などで形ばかりの挨拶をする人をたまに見掛けるが、接客が必要な職場で従業員に形だけの挨拶を強要しても、本人が相手とコミュニケーションを取る気がないのであれば、それは愛想のない応対になって逆効果である。
 形だけ整えても、心は伝わらない。お客様が自分の店に来てくれるという感謝の気持ちが芽生えてはじめて、心の伝わる挨拶になる。

 挨拶の言葉はそれ自体には意味は無い。
 特に早いわけでもないのに「お早う」。
 苦労をねぎらう意味がなくても「お疲れ様です」という挨拶もある。
 しかし、その意味のない言葉こそ、コミュニケーションを取るための一番意味のある言葉かもしれない。
 挨拶の方法は国によって様々である。言葉を使わず、お辞儀をするのも、もちろん立派な挨拶である。

 同じ組織に属している人間は、例えば同じ制服を着ることによっても一体感を感じることはできるだろう。しかしそれだけでは何かを共有しているという実感には乏しい。
 お互いに顔を知っている(顔見知り)のは、一歩進んだ状態であるが、それだけで話を始めるのにはもう一歩が必要な感じがする。そこで必要になるのが挨拶ではなかろうか?



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