理系人間が解釈する般若心経

動機、目的が大事

 現世での修業の目的は、どんな場面に遭遇しても、世のため人のためになるように判断して行動できるようにフローチャートを改善していくことである。(魂の向上=フローチャートの進化)

 「結果がどうなったか」、「人がどう思うか」は重要ではなく、動機、目的こそが重要である。
 同じ結果が得られた場合でも、動機やプロセスによってフローチャートが進化している場合もあるし、進化していない場合もある。
 フローチャートの内容が洗練されていく(魂が向上していく)ということは、現世においてノウハウを得て様々なケースに対応できるようになるということであるが、死後もその魂の成長は継続していく。

 現世で得られる色々な結果。例えば「お金をたくさん儲けた」とか、「出世した」などの結果は、魂の成長には無関係である。しかし、お金を儲けることや高い地位を得ることが悪いのではない。動機が大事なのである。
 人の迷惑をかえりみず、お金や地位を手に入れようとすれば、それは魂の向上にはつながりにくくなる。
 しかし本当に人のためになる商売を始めてまとまった利益を得たり、困難を克服したことで会社の信頼を得て昇進することは悪いことではない。
 そうして儲けたお金を恵まれない人達のために寄付するのもいいだろう。しかし、もし売名行為のためにお金を寄付するとしたら、これも現世利益を得るためのものになりかねないので、魂の向上にはつながらない。
 そのつもりがなくても自分のした事が売名行為とみなされることがある。それを避けるには、一切公表せずに人知れず人のために貢献する「陰徳を積む」という方法もある。 関連:「価値観」(後出)

 「金さえあればできないことはない。」と言った人がいる。現世の「色」という側面だけを考えれば、そうかもしれない。
 お金がある人のところに人が集まってくるのは、その人の「人徳」や「考え方」に共鳴してくるのではなく、お金が目当てで集まってくるのである。
 お金がなくなると、その人はなんの魅力もなくなってしまう。金目当てに集まってきた人も、いつしか離れていくだろう。
 お金という「色」がなくなった時に、その人の「空」である魂に進化の跡が残るだろうか?
 同様に地位のある人に擦り寄って、その人の地位が剥奪された時に人が離れていくのも、同じ事である。
 地位は実体のあるものではないが、高い地位はお金を生み出す権益となるので、物質的価値観から言えば、お金と同様である。
 全ての事をお金や物質的なもので解決しようとしていると、それらでは解決できない困難に見舞われるだろう。
 その困難は、そのやり方ではうまくいかない事を気付かせるために生じるものであろう。
 霊界のメインプログラムは、心の中(フローチャート)まで全てお見通しなので、その人の動機や目的を正しく評価する。

 現世の人間同士であれば、ウソを言って本心を隠しておくことはできる。
 コンピュータの場合に例えると、プログラムの実行結果だけを見ることはできるが、プログラムソースが見えるわけではないので、その実行結果がどのようなプロセスで出力されたものかがわからない。しかし霊界からはフローチャートの流れが見られるので、どのようなプロセスで実行結果が得られたのかは全てお見通しである。
 その内容次第で、さらに厳しい環境を与えて修行させるのか、今、進めていることを支援する環境を与えるかが決まる。

 そうなると、魂を向上させるためには、フローチャートをどういう場合にどういった基準で見直すかが重要である。

 子供の頃のことを思い出してみてほしい・・・。
  経験の少ない子供の時はどうやって物事を判断して行動していたのだろうか?
 ・・・親に聞いてみる場合もあるだろうし、直感的にとりあえずやってみる場合もあるだろう。 

 今までの少ない経験の中から、今、直面している問題に似ていそうな事をよりどころに判断する。
 そのためには、今まで経験したことの中で、どれに近いかをまず比較する必要がある。しかし比較する場合に「外見が美しい方が得だ」とか「本当の事を言わない方が儲かる」など現世の物質的価値観を基準に判断してしまうと、それは「色」の世界である現世でのみ通用するフローチャートになってしまい、魂の向上にはつながらなくなる。

 そうなると魂を進化させるために現世に生まれてきた意味がなくなってしまう。そのことに”気付く”必要がある。
 守護霊は色々な方法で、気付きを促すために働きかける。病気や困難がその手段であることもある。
 現世で教訓的に言われている「悪い事をすると罰が当たる」というのもその1つであろう。

 今までに経験がない事で、自分が散々試行錯誤して何とか結果を出したその後に、実はそのやり方の情報が既にあったという事を知ったら、無力感に襲われるかもしれない。
 しかし、大事なのは結果でなくプロセスである。先人のノウハウを見て労せずして結果を出した者より自分自身の苦労によって結果を出したもののほうが成長(フローチャートの進化)するのは明らかである。物質的価値観から見れば損であることでも魂の成長という観点から見ると必ずしも損ではない。

 現世に生まれ出て自分で考えて行動するようになっても、最初は、現世の物質的価値観で「わからなきゃ何をやってもいい」「自分さえ良ければいい」と考えがちであるが、現世の人間として長い期間生きて経験を積むと、守護霊からのシグナルを知らず知らずに受け取るようになってくる。そして物質的価値観でのみ考えると、結局は自分のためにならないことに気付くようになる。

 その気付いたことを子供に教えるべきであり、これは現世の親から子へ伝えるべき事だと思う。しかし、こういった真理は、物理法則のように論理立てて説明することができないし、証拠を示すのが難しいので、「人にわからないように悪い事をしてもお天道様が見ているよ。」のようなことを言っても説得力に欠けるので、つい伝えることに消極的になってしまう。

 結果よりプロセスのほうが大事だということがわかると、例えば自分の子供や部下などに、何かを教える時に、自分自身が悩み苦しんでやっとたどり着く過程をオープンに見せた方が、育成のためには有効だということがわかる。
 自分が失敗して恥をさらした姿を見られると、その時には惨めかもしれないが、効果はずっと後になって明らかになるであろう。

 現在、毎日のように起こっている殺人や不正の数々・・・・・。
 結局、このようなことが親から子へ伝承されないのが続いてきたのも、現在の日本社会の荒廃が進んだ理由のひとつなのかもしれない。



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