理系人間が解釈する般若心経

感謝の気持ちを持つには?

 現世の人間は一人では生きていけない。我々が使っているもの、食べるもののほとんどには人の手が掛かっている。様々な人が自分の役割を果たしながら支え合っている。

 「感謝」とは何かというのを改めて説明しようとすると難しい。
 「有難う」という言葉が示すように、普通はそんなに「有る」ことではないのに、誰かが自分の利益や見返りの期待を抜きにして、自分のために何かをしてくれた場合に「有り難い」と思う。

 感謝の気持ちは人に対してだけのものでもない。自分が地球上に生かされているのもまた「有り難い」ことである。
 太陽がその活動を停止しないのも地球が自転し続けているのも雨が降るのも偶然ではない。(それがないと生き物は生きていけない)
 天体の活動や運行は、現在ある形を維持せずに、変化してもおかしくないのに、現在の形を継続して人間を生かしてくれている。

 地球は今ある位置より太陽に近くても遠くても、その環境は維持できない。オゾン層がないと人間の健康は維持できない。
 これらの様々な条件が揃ってはじめて地球上に生物が誕生し、人類も生かされている。このような条件が偶然に揃うことは滅多にない。奇跡とも言える。
 人間が使っている実体のあるもの全ては元々地球に存在するものと太陽の恵みによってもたらされるものである。
 このように条件がそろった環境が「有る」ことは「難しい」のである。
 これが「有り難い」ということであり、生かされていることに感謝しないといけない理由である。
 それなのに人間は自己の利益のために平気で自然を破壊する。
 様々な恩恵を受けておきながら、それを当たり前のことと気にかけることもなく、自然に対して何もお返しをしなくてもいいものだろうか?いや、それ以前に少なくとも環境への悪影響を最小限にするように努力すべきである。
 自然災害が起こるのは、人間に何かを気付かせるためなのかもしれない。

 現代社会という環境は、ありがたみを感じにくい環境である。
 電話がない頃は、電話が使えるようになった時、なんて便利なんだろうと思った。留守番電話がない頃から考えると留守番電話はなんて便利なんだろうと思った。携帯電話がない頃から考えると、携帯電話はなんて便利なんだろうと思った。
 同様に、携帯のメールがない時代に数字だけが送れるポケットベルはなんて便利なんだろうと思っていたが、携帯でメールができるようになった時になんて便利なんだろうと思った。 関連:「相対的とは?
 このような環境が揃いすぎた現代に生まれ、それが当然だと思っている子供に「ありがたみ」「感謝の心」を理解させるのは並大抵なことではない。
 昔はこれらの物がなかったのでこうやっていたと説明しても、実際にそれを体験していないと、感覚として捉えるのは難しいだろう。

 感謝の気持ちを持つためには、どうしたらいいのだろう?
 それにはまず現在の自分がありがたい境遇にあるということを自覚する必要がある。

 感謝の気持ちを忘れない方法は、今ある環境が無かったらどうなるだろうと想像してみる事である。
 例えば地震などの大きな災害に遭うと、電気、水道などのあるのが当然のライフラインのありがたみが身に染みてわかる。衣・食・住、それを支えている人達のありがたみもわかる。

 健康に全く気を遣わず、暴飲暴食、過労、睡眠不足など、体に無理ばかり掛けていると、健康を損なった時に、健康のありがたみ、自分の体へのわがままにはじめて気が付く。
 苦労や失敗の経験が多いと、日頃、当たり前に過ごしていることがいかにありがたいことかが感じられるようになる。

 しかし、環境や健康が損なわれてその大事さに気が付いた後、しばらくして以前の環境や健康を取り戻すと、ありがたみを忘れがちなのが人間である。

 もし自分の両親が存在しなかったら・・・と想像すると、自分は現世に生まれ出ることすらできなかったということになる。
 自分の両親にも両親がいて、さらにその両親にも両親がいる・・・。と考えると、ご先祖様に対しても自然に感謝の気持ちが持てるようになる。

 自分のために何かをしてくれた人に対しては「ありがとう」の言葉を素直に口に出せるようにしたい。
 現世の人間を生かしてくれている何かについては、現在の環境が失われたらどうなるかを想像して、感謝の気持ちを持つべきではなかろうか?



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