理系人間が解釈する般若心経

塩の機能

 塩には水分を吸収する性質がある。

 例えば、塩を大気中に置いておくと空気中の水分を吸収して湿ってくる。きゅうりを薄切りにして塩を掛けると水分が染み出てくるし、ナメクジに塩を掛けると水分を吸いだして縮んでしまう。

 「水はプログラムの記憶媒体」で述べたように、プログラムが波動として空気中の水分に含まれているとすると、塩は水分に含まれているプログラムをも吸収することになる。

 塩は清めに使われる。これは邪気を吸収するためだと思われる。

 「気功とは?」で述べたように、「類は友を呼ぶ」の法則で、良い気は体に引き寄せられて体内に留まるが、悪い気(邪気)は引き寄せられないので体の近くに存在するはずである。
 そういう状態の時に、体の近くに塩を持ってくると、塩が邪気を水分もろとも吸収するのではないかと思われる。

 一般の人が清めの塩を目にするのは、葬儀の帰りに体に振り掛ける清め塩ではなかろうか?

 清め塩は「人間の死は災いやけがれなので、それを祓う」という目的で使われると思っている方が多いが、それは違うと思われる。
 葬儀が行われる場所には、現世のネガティブな考え方を持ったままの未浄化霊が存在していると考えられる。
 未浄化霊は良い気や悪い気などの小規模なプログラムが多数寄り集まって階層構造を成した大規模なプログラムである。 関連:「魂のプログラムの構成(後出)」
 その未浄化霊が自分と同じようなネガティブな思いを持った参列者に憑依して家までついてきた場合に、未浄化霊が宿っている水分もろとも吸収して、参列者の体から引き離すために使うのが、清め塩の本来の目的ではなかろうか?

 清めに使う塩は、精製された塩ではなく、海が含むミネラルなどの成分が含まれている天然塩(粗塩)でないといけないとされる。これはなぜであろうか?

 地球上の最初の生物は海から誕生した。

 太古の海中で様々な化学反応が起きる中で、周囲のエネルギーを取り込み、あたかも自分の意思を持って成長して進む台風のような反応が起き、それが生命誕生の元になったのではないか?そしてその継続する反応サイクルこそが初めての生き物に宿ったプログラムではなかろうか?
 海の成分に近い塩でないといけないのは、最初に生物が誕生した海の成分が「実体のあるミネラルなどの成分」と「実体のないプログラム」が一体となって機能し始めるのに最適であったのではないかと思われる。
 逆に、海で最初に誕生した生き物が持つようになったプログラムが、存在する全てのプログラムのベースになっているとも考えられる。

 ・・・とすれば、プログラムは存在し続けるのに最適な海の環境に近い粗塩の中の水分に入りやすくなるというのもうなずける。
 大規模なプログラムの集合体である魂のプログラム(霊)は憑依しやすくなるであろうし、それが良い気であれ悪い気であれ小規模なプログラムも引き寄せられやすいと考えられる。

 海の機能に近い塩を作るには、純粋なNaClだけでなくミネラル分が必要である。

 ミネラルとは人間の体に必要な元素で、亜鉛・カリウム・カルシウム・鉄・ナトリウム・マグネシウムなどの元素のことを言う。
 ミネラルを含んだ塩というのは、NaClとミネラル分を混ぜるだけではうまくいかない。塩を作るプロセスで海水が本来持っているプログラムが宿りやすい性質が塩に残るように作らないと意味がない。

 現在では合理化によって、昔ながらの塩田で長期間に渡って水分を蒸発させて海水の性質をそのまま残した塩はほとんど手に入らなくなっている。
 純粋なNaClとミネラルを混ぜたものは、生き物に含まれている元素をただ寄せ集めたのと同じである。それだけで生き物に命は吹き込めない。実体のあるものとないものが一体となって機能できないと意味がない。

 プログラムが機能するのに最適な環境である海水は、当然、人間の健康のために良いのは言うまでもない。
 海がきれいであった頃は海水浴は健康を維持するために行っていたと言われる。この海水による効果は今日ではタソラテラピーという療法として継続している。
 ミネラル分を含む温泉が体に良いというのもうなずける。元々海水に含まれるミネラルは岩石などの鉱物に含まれるものが雨によって海に流れ込んだものである。

 昔ながらの製法で作った自然塩も高価ではあるが健康のために摂取するのが良いとされている。
 脱水状態などになった時には、体の状態を元に戻すためにミネラル分を含む食塩水のリンゲル液が点滴で投与される場合がある。

 清めの塩は葬儀の後以外に、結界を張る時にも使われる。
 これは邪気を吸収して清浄な空間を作るためだと考えられる。



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