理系人間が解釈する般若心経

魂のプログラムの構成

 「プログラムの階層構造」では複数のプログラム同士が機能やデータの共有部分を持って一体となって機能する事を述べた。
 ここではその1つ1つのプログラムがどのような構成で成り立っているかを考える。
 「現世の人間の意思」も「霊界にある魂のプログラム」も「未浄化霊」も「現世の空間に存在する良い気や悪い気など」もまたプログラムである。しかしこれらは同じものとは考えづらい。これらの違いは何であろうか?

 これらの違いはプログラムの規模であると考えられる。

 「現世の人間の意思」や「未浄化霊」などは、多くの機能を持った大規模なプログラムであって、これらのプログラムは目的に特化した多数の小規模プログラムが寄り集まって階層構造を成して大規模なプログラムとして機能していると考えられる。「プログラムの階層構造」で述べた霊界の「メインプログラム群」と同様な構成である。
 これに対して「現世の空間にある良い気や悪い気など」は、特定の目的を持った小規模なプログラム単体ではないかと思われる。
 「ほこりに邪気が宿る」と言われる。「物にも魂が宿る」とも言われる。 これらも小規模なプログラムと考えられる。

 このようなプログラムの階層構造を説明するために、先に述べた「プログラムの見直しとは」で例を示した野球の走塁判断のプログラムを一歩進めて考えてみる。
 野球で走者となって走塁する際には、様々な状況を頭に入れて判断することが必要である。
 それらの状況判断では、いくつもの判断すべき項目があり、項目を1つ確認したら、次の項目というように順次判断することも可能であるが、実際には同時進行で複数の項目を確認しながらプレーをしている。
 つまり各項目に特化した末端のプログラムが個々に並行して機能して判断していると考えられる。


走塁判断のプログラム
 │
 ├ボールの行方を見るプログラム
 ├手チームの野手の守備能力を見るプログラム  
 ├その他の状況を考えるプログラム
 └ベンチからのサインを見るプログラム


 以上は判断すべき大まかな項目のプログラムを示したものであるが、これらのプログラムは階層構造になっていて、それぞれのプログラムにはさらに細かな機能の下層のプログラムが存在する。その例を下図に示す。


走塁判断のプログラム
 │
 ├ボールの行方を見るプログラム
 │├投手の投球を見るプログラム
 ││├けん制に備えるプログラム
 │││├ベースからの離塁幅を考えるプログラム
 ││││└隠し球などを防止するプログラム
 ││││
 │││└投手の技量を見極めるプログラム
 │││ ├投手のくせを見極めるプログラム
 │││ ├投手のけん制の技量を見極めるプログラム
 │││ └投手の投球のスピード・制球力を見極めるプログラム
 │││
 ││└球種を見るプログラム
 ││ ├配球を読むプログラム
 ││ └どの球種ならスタートできるかどうかを判断するプログラム
 ││
 │├捕手の動きを見るプログラム
 ││├投球コース、球種を見極めるプログラム
 ││└捕手からの送球スピードを見極めるプログラム
 ││
 │└打者の動きを見るプログラム
 │
 ├相手チームの野手の守備能力を見るプログラム
 │├ベースカバーをする野手を見極めるプログラム
 │├野手の守備位置から打球が抜けるかどうかを見極めるプログラム
 │└野手の肩の強さを見極めるプログラム
 │
 ├その他の状況を考えるプログラム
 │├フォースプレーかタッチプレーかを考えるプログラム
 │├アウトカウント・点差などを考えるプログラム
 │└他の走者の動きを見極めるプログラム
 │
 └ベンチからのサインを見るプログラム


 以上のように各プログラムが階層構造を成し、かつプログラム同士で情報を共有して機能している。
 それぞれのプログラム同士は情報を共有しているので他のプログラムの判断もアシストできる。
 例えば、野手の守備位置を見ておけば打球が飛んだ時に抜けるかどうか判断できる。といった具合である。

 同様に魂のプログラムも小規模なプログラムが寄り集まって階層構造で機能していると考えられる。
 「良い気や悪い気など」は末端の小規模なプログラムに相当し、「現世の人間の魂」や「霊界の魂」などはこれらの小規模なプログラムを下層として、多くのプログラムが階層構造を成して寄り集まった大規模なプログラムと考えられる。

 魂のプログラムの向上のため、その内容を変更して改善しようとする場合は、下層末端のごく小規模なプログラムだけを入れ替えたり、複数のプログラムのまとまりごと入れ替える。
 小規模なプログラムは、小規模ならではの小回りを利かせて、「類は友を呼ぶ」の法則に従って、大規模プログラムの末端の必要とされる箇所に引き寄せられ、取り込まれたり、入れ替わったりする。
 良い気を取り入れるには良い(高い)意識(大我)を持っていることが必要である。

 以上は、良い気(プログラム)を外部から取り入れて向上する仕組みであるが、現世の人間が自分自身で魂のプログラムを向上させるためには次のような方法もある。

 例えば、足を骨折などして、骨がつながった後に歩いてみようとすると、「以前はどうやって歩いていたか?」がわからなくなり、それを思い出そうとしても思い出せない。しかしリハビリを終えて自然に歩けるようになってしばらく経つと、その時には頭で考えても歩く方法はわからなくなっている。
 これは、歩くプログラムが、リハビリが進むに従って、最上位の意思のプログラムで機能していたのが下層のプログラムに移動して機能し始めたということである。
 こうなれば、どうやって歩いているかは意識しなくなる。
 下層にあるプログラムはこのようにしても生成される。

 意思のプログラムで機能していたものが、末端の別のプログラムにその機能を移管する。
 これは「輪廻転生」した時に前世の記憶だけでなく、物事のやり方を忘れてしまうのもこういうことではなかろうか?
 「歩き方を忘れた時にどうするか?」のような経験から得られたノウハウのエッセンスのみを魂のプログラムが継承していくと考えられる。
 そしてそれは人間性や性格、個性を形成していく。

 上記の「走塁のプログラム」の末端のプログラムの機能は、実際は選手が特に意識しなくとも自然にやっている潜在意識下の働きである。
 現世の人間の意思である顕在意識のプログラムは、何かを見聞きしたり考えたりして、その判断・実行プログラムの内容を書き換えることができる。潜在意識下のプログラムは意識せずに取り入れたり入れ替わったりしているのかもしれない。

 現世の人間の中では、最上位の意思のプログラムのある箇所より下層に、通常は意識することのない健康を司るプログラムなどが階層構造を成しているプログラムの中で存在していると考えられる。
 これについては次の項目で述べていく。


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