理系人間が解釈する般若心経

未来は変えられる?

 霊界からは、現世で起こっている事は何でも見える。人や物の物理的な動きだけでなく、
人の気持ちの動きや自然や大地の変化など全てが時間とともにどのように変化するかがわかる。
そのため、「何が原因で何が起こるか」が決まってくるので、未来予測の精度は完全に近い。
 映画などで描かれるタイムスリップした先の「未来」はこれを表現していると考えられる。

 そこで、未来に起こりそうな災害を予知できたとして、その未来を変える事ができるかどうかを考えてみる。

 大きな自然災害に遭った場合には、身近な人の死やこれまで築いてきたものが一瞬にして奪われる場合もある。この場合には災害による試練を乗り越える事が魂の修行になる。

 災害がしばらく起きない時が続いても、常に「もし災害が起きたら」というのを頭に置いてどのように避難するかや、その情報をどのように伝えるかなど、「そこまで大きな災害が起こる事はないだろう」とたかをくくらず、災害を正しく恐れながら真摯に訓練に励んだり、災害自体を防げなくても、できるだけ軽減するにはどうするかを試行錯誤し、実行する。
・・・これらの事もまた修行である。

 霊界での価値観では、何かの物事が「起こる・起こらない」ではなく、「経験及び向上」という見地から、魂の向上の具合を見定められる。
 であるとするなら、同等の魂の向上が得られるのであれば、必ずしも物理的な災難や困難といった試練は必要なくなる。

・・・とすれば、災害に遭遇する事に取って代わる修行の進み方や向上次第で「未来に起こる物事は変えられる」のではなかろうか?
 例えそれが大きな自然災害であっても、防ぐ事ができるのではなかろうか?

 そもそも霊界からは現世の事を何でもコントロールできるはずなのに、せっかく現世に生まれ出た人間の命が奪われるような自然災害が起こるのであろうか?
・・・それは現世の人間が「工夫と努力によって困難を克服する」という課題を与えられているからではなかろうか?

 災害などに遭って命を亡くすのは、現世の感覚で言えば「残念な事、絶望する事、理不尽な事」であるが、魂の価値観で言えば、魂が元居たところ(霊界)に戻るという事なので、むしろ現世での修行を終えて卒業したという感覚である。

 逆に、現世の事は何でも見える霊界の魂は、将来をほぼ間違いなく見通せるような万能ぶりなのに、なぜ魂は現世に生まれ出てあえて修行をするのであろうか?

 ・・・それは何でもできる霊界は、困難を悩み苦しんで克服して、向上を図るというのに適した環境ではないからである。

 現世の人間は、前世の記憶を消され、なぜ、どういう目的で現世に生まれ出たかについては全くわからないのであるが、現世に生まれ出た機会を生かさずに困難から逃げてばかりいると、大きな困難が与えられて、修行を促されるのかもしれない。




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