理系人間が解釈する般若心経

武士道2

 引き続き武士道の各項目について説明していく・・・。

「仁」
 「仁」は思いやりの心である。
 「義」では人間社会の秩序を保つことによって、全体としての向上を目指しているが、「仁」は「特定の相手を思いやること、相手の立場になって考えること」を示す。

 「メインプログラム群と共有部分を持つ現世の自分(の魂)も、他者(の魂)と実はつながっているという真理」がわかれば、相手を思いやることは、結局は自分を含む全体の中の一部を大切にすることになる。
 関連:「オープンソース」「プログラムの階層構造
 「義」と異なるのは感情が入る点である。能動的なポジティブな感情を持つように努めるべきである。 関連:「感情をどうコントロールすべきか?
 他者を大切にするということは、他者の言いなりになることではない。関連:「似ているが違う事


「義」「仁」の関係
 「義」は全体が対象である。「仁」は特定の他者が対象である。
 つまり「義」は魂のプログラムがつながっている霊界を含めた全体に寄与するにはどうすべきかで、「仁」は現世での他者に寄与するにはどうすべきかである。 関連:「オープンソース
 「仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる。」は伊達政宗の言葉である。
 特定の人だけを思いやって助けるのも大事であるが、全体としての秩序を維持し、助けを必要としないような状態に保つことも大事である。


「礼」
 「礼」は「仁」・「義」を形として表すものである。

 例えばコンピュータのプログラム同士のデータのやり取りを考えてみる。
 各プログラムがそれぞれ独自の形式のデータで入出力をしていては他のプログラムとの連携は取れない。
 連携をするためにはその形式を標準化する必要がある。
 霊界の魂のプログラム同士では相手が何を考えているかが全てわかるが、現世の人間同士でコミュニケーションを図るためには、その形式を標準化するのが望ましい。

 「礼」は、「仁」「義」に基づくふるまいを他者が見てもわかる具体的な形にしたものである。
 現世では「目に見えるもの、言葉で伝えるなどの人間の五感で感じるもの」でないと自分の気持ちや言いたいことは伝わらない。「礼」は気持ちを形で表す手段の一つである。
 日本の文化を知らない外国人には「お辞儀」の意味がわからない人がいる。しかし、握手や拍手などの世界共通の礼儀であれば互いにわかり合うことができる。

 「礼」は相手に自分の気持ちを伝える共通の形である。これがあれば言葉で細かく説明しなくても、言葉と同じようにあるいは言葉以上に相手に気持ちが伝わる。逆にその「礼」が何を意味するかを知らないと相手の意図が理解できない。


「誠」
 「誠」とはうそをつかないことである。
 これは現世において自分の目標を公言することにより、修行のモチベーションを上げる方法の一つである。と考えられる。
 他者の目が気になる現世であるからこそ、それを逆手に取ってモチベーションを上げる一つの手段としている。誰しも「あの人は言っている事とやっている事が違う」とは言われたくないと思うだろう。
 うそは心の弱さである。現世では自分に都合の良いうそをつくことができる。また知られたくないことは隠しておくことができる。 関連:「動機、目的が大事」「価値観
 これは霊界ではできないことである。隠すことなく目標を公言することは、全てオープンな魂同士のやり取りを行う霊界での存在に近づくということではなかろうか? 関連:「オープンソース


「名誉」
 「名誉」とは、多くの人から自分の業績や人格が認められ、賞賛や尊敬をされる事である。
 自分の行動や考え方が手本として認識されればそれは本人の死後も現世で伝え続けられる。 関連「類は友を呼ぶ」「
まねをする
 霊界から手本を示すことは難しい。現世で残したもの、伝えたものが他の現世の人間に影響を与え続ける。
 「名誉」は、自分以外の人のために行った業績に対して与えられるものである。土地成金が、持っているお金の額を自慢するのは名誉とは言わない。
 ギネスブックに載っている記録には誰のためにもならないようなものもあるが、記録自体が驚きや感動を与えるものである場合もあるし、内容を見たいと思ってその本を買う人がいるということは、その内容を提供する側は何らかの貢献をしている事になる。

 名誉を得ることができないまでも恥を知ることが大事である。
 何を恥と思うかは「
相対的」であって、みんなが恥に思わなくなると、それは恥ではなくなる。
 「みんながやっているから」「(倫理的にはともかく)法律には触れないから」恥ではないと思うようになってきたのは大きな問題である。
 海外などの情報が少ない頃は、日本で昔から受け継がれたきた規範で、恥であることが共有されていた。
 しかし現在では「うそをつくこと」や「卑怯なこと」をしても富を手に入れた方がみんなから羨ましがられるようになってきた。 関連:「感情をどうコントロールすべきか?
 しかし羨ましがっているのは我々である。これを改めないと本当の意味での名誉が歪められてしまう。

 「義」や「仁」を貫き通せないのは不名誉、恥である。これが「義」や「仁」を貫く原動力となる。


「忠義」

 忠義とは自分より上位の人に、自分を犠牲にしてでも尽くすことである。
 現世の人間社会においては、会社の上司、グループの指導者などがこれに当たるが、霊的真理で考えると、自分の守護霊、さらにその上位にあるメインプログラム群(関連:「オープンソース」「
プログラムの階層構造」)が尽くす対象になるのではないかと思われる。
 自分の行動は、現世の他の人間からは見られなくとも、霊界から見られている。
 「義」である人の道に外れない行動を取ること、「仁」である思いやりの心を持って行動することが、メインプログラム群に対して尽くすということではなかろうか?


「智」
 「智」は「智慧」である。
 知識を増やすだけでは意味がない。他人の言うことや報道されていることを鵜呑みにして行動してはいけない。自分自身の頭で考えて行動することが大事である。 関連:「知識と智慧」「智慧の重要性
 「富」は「知恵」を妨げる。と言う。これは物質的価値観に基づいて行動しても向上できない。という事を意味している。


 武士道に従って行動していても、生活は苦しく利益は得られないと言われるかもしれない。
 しかしそれは物質的価値観に基づいたものではなく、魂の価値観に基づいているので当然のことである。



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