理系人間が解釈する般若心経

武士道

 海外からも優れた倫理観として認められた日本の「武士道」。

 武士道にはいくつかの項目があるが、これらの各項目を実践することで修行が深まっていく。
 これらの項目を実践するのがなぜ必要なのだろう?
 「ならぬことはならぬものです」と言われる(理屈抜きに従うべきである)が霊的真理で考えると、理屈がわかる事は多い。
 これらの理由は本サイトでこれまで述べてきた事に、多くが含まれている。
 「現世では独立しているように見えるそれぞれの魂が、実は霊界でみんながつながっていて全体での向上を目指す」 そのために魂は現世に生まれ出て現世での修業をする。・・・この真理に集約される。

 武士道の各項目について説明していく・・・。

「義」
 「義」は正義。人としてすべき道。人としてのまっとうな道。を示す。
 ズルいこと、卑怯なことをしない。人に迷惑を掛けない。
 モラル、マナーを守るというのは当然で、それらよりさらに高い倫理観を持つことである。
 「自分のためだけでなく、世のため人のため(全体のため)になる行動」を取ることである。
 そのためには、自分が辛抱することも必要となる。 関連:「感情をどうコントロールすべきか?

 先に述べた「オープンソース」では現世の人間が考えていることや行動は、自分の守護霊をはじめとして霊界から全て見られているということを述べた。
 であるから、他の現世の人間から見られていないからと言って、ズルいこと卑怯な事をしてはいけない。もしもしてしまうと「罰(ばち)が当たる」のような現象が起きて本人に反省を促す(因果応報)。
 「物質的価値観」ではなく、動機・目的が重要な魂の価値観に基づいて、世のため人のために行動する必要がある。 関連:「価値観

 武士は当時、最高の地位にあった。彼らはその地位に相応しい尊敬に値するふるまいをする必要があったと考えられる。
 そうした模範となるべき行動を見て、人はそれに共感し、同じようにふるまおうと思ったのではなかろうか?
 関連:「類は友を呼ぶ」「まねをする
 多くの人間が、そういうふるまいを見習えば、さらに多くの人間に波及し、全体として向上を図ることができる。
 逆に、倫理観のない行動がはびこれば「みんなやってるからこのくらいはいいだろう。」となって悪い方向に進んでしまうので、秩序を維持する必要があったであろう。

 以上のようなメカニズムで、全体を向上させるために、人として何をすべきかを説いたのが「義」ではなかろうか?


「勇」
 「勇」は実行する勇気である。
 見過ごそうとすればできないわけではない場面で、行動を起こせるかどうか?
 何もしないと向上しない。失敗は悪くない。失敗から学ばないことこそ悪いこと。
 全体での向上を目指すための積極的な行動が必要。時には辛抱も必要。
 現代であれば「不正を正す」「内部告発する」「上位の者にモノを言う」ことなどが相当する。


「義」「勇」の関係
 論語では「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉がある。
 正しいとわかっていても、それが実行できないといけない。という意味であるが、現世では何か(行動する、説得するなど)をしないと何も変わらない。他の人間に働きかける場合には、その人間の五感に訴えるしかない。
 「義」は判断のよりどころ、「勇」は行動のよりどころである。
 例えば「不公平なことが行われていて困っている」時に「助ける」のような関係になる。



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