理系人間が解釈する般若心経

類は友を呼ぶ

 「類は友を呼ぶ」と言う。自分と価値観が似ている人と語り合うと楽しい。

 新しく友人ができる時には、どういうきっかけがあるだろうか?

 学校での同じクラスや社会人では職場が同じであったり、趣味などの集まり、隣近所など、まずは人と接触する機会があり、そこで誰かとやりとりをした中で特に気が合うと思った人がいれば、連絡先を聞いたりして再度会おうとするだろう。
 さらにそうやって意気投合した仲間に人が集まってくる。
 しかし接触する機会があっても、気が合わなかったり、価値観が違うと思った場合には二度と会おうとしないだろう。

 現世の人間は、その生い立ちや性格などが異なる色々な人間がいて、その価値観も様々である。
 そういった様々な人の中で、価値観を共有できる人達が自然に集まる。

 価値観が同じ人たちは、どう考え、行動するのだろうか?

 例えば、考え方の違う二人のプログラマがいて、同じ内容のプログラム作成を依頼された場合を考えてみる。
 一人は「将来、プログラムを改変することも考えて、他のプログラマが見てもわかりやすい構造化プログラムを作成し、不具合が発生したら、その理由を考えて、必要であれば基本設計からやり直す」という考えのプログラマで、もう一人は「要求された最低限の機能だけを実現するように、特にポリシーもなくプログラムを作成する。不具合が発生した時には、とりあえず場当たり的に修正する」という考えのプログラマであったとする。
 あなたがプログラマなら、どちらのプログラマと一緒に仕事をしたいと思うだろうか?

 プログラマは他のプログラマが作成したプログラムのソースを見ると、その内容がどういったものかは大体見当がつく。
 志の高いプログラマ同士は、相手の作成したプログラムソースを見てその内容が優れていることがわかれば、互いに一緒に仕事をしたいと考えて接触するだろう。
 志の低いプログラマは、構造化されていない自分のプログラムソースを見られたら、志が高い人から声を掛けられることはないし、自分から志が高い人に声を掛けて一緒に仕事しようと言っても相手にされないであろう。

 結局、志が低い人は低い人同士で集まって、志が高い人のことを羨んで、中傷することで溜飲を下げることしかできなくなる。
 「そんなにマジメにやってそれだけ給料増えるのかよ?プログラムのバグやその後の連携の事なんて考えて仕事してたら遊びに行くひまなんてなくなるぞ・・・」
 「プログラムが完成する事が大事だから、その出来が良いか悪いかは問題じゃない。」
 「プログラムが良かろうが悪かろうが、決まった時間に仕事をして報酬をもらうのは当たり前じゃないか?」
 ・・・のように、志の低いプログラマも集まってくる。このようにして価値観を同じくするプログラマが集まる。

 以上はコンピュータのプログラムを作成する人間の価値観であるが、これを「自律してプログラムの内容を書き換えることのできる魂のプログラム」に置き換えて考えると、どうだろう?

 霊界においては、プログラムソースに相当する互いの心の中が丸見えなので、価値観が同じレベルの魂のプログラム同士が引き寄せ合って、連携(互いに他のプログラムの機能を利用したりデータの共有など)したがるようになるのは自然な事である。

 「類は友を呼ぶ」の「友」になるには、最初に述べたように、まずはお互いのコミュニケーションが取れる場が必要である。

 魂において、似た考えを持ったものが呼び寄せあう「類は友を呼ぶ」の法則は、今後、いくつかの現象を説明するのに重要になってくるので、覚えておいてほしい。



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