理系人間が解釈する般若心経

執着

 般若心経に書かれている
 無智亦無得 以無所得故 ・・・の部分を考えてみる。
 要約すると、執着してはいけないという意味である。

 ここで言う「所得」というのは、「得る」「認識する」という意味であるが、これは現世で得た「色」である「物」や「地位」「金」、「空」である「経験(知識)」「考え方」「信頼」などが対象であると考えられる。

 人間は、有形や無形である何かを手に入れると、それを失わないように守ろうとする。それを捨ててまでさらなる向上を目指そうとはしない。ものである。
 つまり執着しようとする。

 執着がいけない理由は何であろうか?

 それは、「それまでとは違う新しいものとの関わりを持たないと、さらなる魂の向上を図ることができなくなるから」・・・ではなかろうか?

 死後、現世の生活や財産などの実体のあるものに執着すると、魂の浄化ができにくくなる。と言われる。

 人間の魂は、最初から絶対的な基準を持っているわけではないので、通常は多くの人の考え方や社会の常識などの相対的な基準を基に判断を下している。
 自分の周りの大多数の人と比べて自分が貧乏であれば恥ずかしいと思うが、明日の食事にも困るような貧困な国に行くと、毎日の食事ができることがどれだけ幸せなことかを思い知る。
 つまり「貧乏」という概念は、相対的な概念である。・・・であるからこのようなことに執着するのも意味のない事である。 関連:「相対的とは?

 同様に、仕事や家庭に多くの不満を感じながら、グチをこぼしながら毎日を送っていても、病気になった時に「何と健康はありがたいものか」と実感する。それを気付かせてくれるのは病気の一つの役割かもしれない。

 「執着してはいけない」と言われて、「ハイそうですか。」とにわかに従うのは難しい。
 執着心を持たないようにするためには、自分とは全く違う価値観を持っている人と接触し、自分をオープンにして、今までとは違う価値観を受け入れる事によって広い視野を持つべきである。

 そして自分という”個”の存在から見た価値観ではなく、全体としての価値観がわかるようになれば、感謝の気持ちが湧いて「世のため人のため」の行動が自然にできるようになるのではなかろうか?



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